
皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
暑さ厳しき折、ご自愛のほどお祈り申し上げます。
昨今、世界中で言葉が飛び交う時代となりました。スマートフォン一台あれば瞬時に世界中へ言葉を発信できるSNSの普及、さらにはAIが人間さながらの言葉を紡ぎ出す時代。まさに言葉の洪水とも言うべき状況の中に、私たちは身を置いております。ところが不思議なことに、言葉が増えれば増えるほど、人と人との間にある溝は深まるばかりのように感じるのは私だけでしょうか。 世界に目を向ければ、言葉による対立と分断がこれほど激しかった時代があったでしょうか。主義主張をぶつけ合い、正義と正義が衝突し、互いに言葉の刃を向け合う。かつて平和の祭典と呼ばれたスポーツの場でさえ、政治的な言葉が飛び交う有様です。言葉とは本来、心を伝えるための架け橋であったはずが、今や人を傷つけ、分断する道具と化してはいないでしょうか。
そのような時代だからこそ、改めて思い起こしたい禅のことばがございます。「拈華微笑」。お釈迦様がある時、大勢の弟子を前に、ただ一輪の花を持ち上げられました。誰もがその意味を測りかねて黙している中、ただ一人、迦葉尊者だけが静かに微笑まれたのです。その微笑みを見てお釈迦様は深く頷かれ、言葉を一切用いることなく、心から心へ直接真の教えが伝わったとされております。これを「不立文字(ふりゅうもんじ)」––文字や言葉に頼らず、心と心が直接触れ合うところに真実がある、という禅の根本の教えと伝えているのでしょう。
言葉にならない微笑み、そっと差し伸べる手、静かに寄り添う姿。そのような言葉を超えた心の通い合いこそが、今この時代に最も必要なものではないでしょうか。お釈迦様が一輪の花に込められたものは、どんな言葉よりも雄弁に、人と人の間に橋を架けました。
今年もお盆の季節が参りました。境内にお越しの折には、どうぞ言葉を手放し、静かに御本堂で手を合わせてみてください。その沈黙の中にこそ、ご先祖様との、そして仏様との、言葉を超えたご縁が息づいております。
拈華微笑。言葉なき笑顔が、世界を救う力を持つと信じております。
合掌

住職
皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
暑さ厳しき折、ご自愛のほどお祈り申し上げます。
昨今、世界中で言葉が飛び交う時代となりました。スマートフォン一台あれば瞬時に世界中へ言葉を発信できるSNSの普及、さらにはAIが人間さながらの言葉を紡ぎ出す時代。まさに言葉の洪水とも言うべき状況の中に、私たちは身を置いております。ところが不思議なことに、言葉が増えれば増えるほど、人と人との間にある溝は深まるばかりのように感じるのは私だけでしょうか。 世界に目を向ければ、言葉による対立と分断がこれほど激しかった時代があったでしょうか。主義主張をぶつけ合い、正義と正義が衝突し、互いに言葉の刃を向け合う。かつて平和の祭典と呼ばれたスポーツの場でさえ、政治的な言葉が飛び交う有様です。言葉とは本来、心を伝えるための架け橋であったはずが、今や人を傷つけ、分断する道具と化してはいないでしょうか。
そのような時代だからこそ、改めて思い起こしたい禅のことばがございます。「拈華微笑」。お釈迦様がある時、大勢の弟子を前に、ただ一輪の花を持ち上げられました。誰もがその意味を測りかねて黙している中、ただ一人、迦葉尊者だけが静かに微笑まれたのです。その微笑みを見てお釈迦様は深く頷かれ、言葉を一切用いることなく、心から心へ直接真の教えが伝わったとされております。これを「不立文字(ふりゅうもんじ)」––文字や言葉に頼らず、心と心が直接触れ合うところに真実がある、という禅の根本の教えと伝えているのでしょう。
言葉にならない微笑み、そっと差し伸べる手、静かに寄り添う姿。そのような言葉を超えた心の通い合いこそが、今この時代に最も必要なものではないでしょうか。お釈迦様が一輪の花に込められたものは、どんな言葉よりも雄弁に、人と人の間に橋を架けました。
今年もお盆の季節が参りました。境内にお越しの折には、どうぞ言葉を手放し、静かに御本堂で手を合わせてみてください。その沈黙の中にこそ、ご先祖様との、そして仏様との、言葉を超えたご縁が息づいております。
拈華微笑。言葉なき笑顔が、世界を救う力を持つと信じております。
合掌