(北海道新聞 平成29年7月20日 朝刊に掲載)
千島列島最北端で最果ての激戦地と云われる『占守島』で12年ぶりの慰霊祭が営まれ、田中清元住職が特別に参列されました
占守島の戦い(しゅむしゅとうのたたかい)は、太平洋戦争終戦後(もしくは終戦準備・戦闘停止 期間中)の1945年(昭和20年)8月18日 – 21日に、千島列島東端の占守島で行われたソ連労農赤軍と大日本帝国陸軍との間の戦闘である。ポツダム宣言受諾により太平洋戦争が停戦した後の8月18日未明、日ソ中立条約を一方的に破棄(8月9日)したソ連軍が占守島に奇襲攻撃、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊と戦闘となった。戦闘は日本軍優勢に推移するものの軍命により21日に日本軍が降伏し停戦が成立、23日に日本軍は武装解除された。捕虜となった日本兵はその後大勢が法的根拠無く拉致され、シベリアへ抑留された(wikipediaより引用)
写真右側が田中清元住職。左は室蘭市安楽寺御住職・軽部文弘老師
(平成29年8月9日 文化時報に掲載)