大乗院薬王寺

住職のごあいさつ

住職

大乗院薬王寺 住職 田中清元

自他一如(じたいちにょ)

皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。今年も暑い夏をのり越え、お盆を無事に迎え、そして送ることができました。中でも新盆供養では格別なものがあり、ご遺族様の想いに触れ、私たちも胸が熱くなりました。ご先祖様をお迎えしたご家族の皆様、本当にお疲れさまでございました。
今年の八月も、広島、長崎の原爆の日、十五日は終戦記念日と新盆供養、十六日はシベリア強制抑留者の北海道慰霊祭、二十日に盂蘭盆大施食会、二十三日は占守島と南樺太戦没者慰霊祭と「平和」について考える時期が続きました。戦後八十一年の歳月が流れた今日も、惨禍の中にある国や地域がある事実に胸が痛みます。戦争に関係ない多くの方々の命が犠牲になられており、遠い出来事のように感じてしまいがちですが、そうではございません。私たちの日々の暮らしの中にも、小さな「争い」の芽は潜んでいるのです。誰かと意見がぶつかった時、つい相手を「間違っている」と決めつけてしまう。そんな小さな積み重ねもまた、争いという大きな流れの、その源のひとつなのでしょう。
仏教の言葉に「自他一如(じたいちによ)」というものがあります。自分と他人は、本来分けられるものではない、という教えです。私たちはつい「自分と相手」、「味方と敵」というように、ややもすると境界線を引いて物事を捉えてしまいます。
お釈迦様は、すべてのいのちが網の目の様につながり合い、支え合っていることを説かれました。人の痛みを、自分とは無関係のものと切り離してしまった時から対立は生まれるのでしょう。
お盆は、多くのご先祖様のいのちが、私のいのちへと確かに繋がっていることを、あらためて実感させていただきました。手を合わせたあのひとときの心を、日々の暮らしの中でも忘れずにいたいものです。自分と他人を分け隔てないその心こそが、平和への小さな幸せの一歩になるのです。
いつでもどこでも良いです。大切な方、愛しい方を思い浮かべて、心静かに手を合わせてみてください。実はその感謝のお姿こそが、一番身近な「自他一如」の実践なのです。
また、十月十日は当寺の報恩会にあわせて先代住職孝印大和尚様の十七回忌法要を執り行います。ぜひご参詣、御焼香をお願いいたします。
少しずつ秋の気配が近づいております。どうぞ皆様、季節の変わり目、お身体ご自愛くださいませ。

合掌

住職

大乗院薬王寺

住職

田中清元

自他一如
(じたいちにょ)

皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。今年も暑い夏をのり越え、お盆を無事に迎え、そして送ることができました。中でも新盆供養では格別なものがあり、ご遺族様の想いに触れ、私たちも胸が熱くなりました。ご先祖様をお迎えしたご家族の皆様、本当にお疲れさまでございました。
今年の八月も、広島、長崎の原爆の日、十五日は終戦記念日と新盆供養、十六日はシベリア強制抑留者の北海道慰霊祭、二十日に盂蘭盆大施食会、二十三日は占守島と南樺太戦没者慰霊祭と「平和」について考える時期が続きました。戦後八十一年の歳月が流れた今日も、惨禍の中にある国や地域がある事実に胸が痛みます。戦争に関係ない多くの方々の命が犠牲になられており、遠い出来事のように感じてしまいがちですが、そうではございません。私たちの日々の暮らしの中にも、小さな「争い」の芽は潜んでいるのです。誰かと意見がぶつかった時、つい相手を「間違っている」と決めつけてしまう。そんな小さな積み重ねもまた、争いという大きな流れの、その源のひとつなのでしょう。
仏教の言葉に「自他一如(じたいちによ)」というものがあります。自分と他人は、本来分けられるものではない、という教えです。私たちはつい「自分と相手」、「味方と敵」というように、ややもすると境界線を引いて物事を捉えてしまいます。
お釈迦様は、すべてのいのちが網の目の様につながり合い、支え合っていることを説かれました。人の痛みを、自分とは無関係のものと切り離してしまった時から対立は生まれるのでしょう。
お盆は、多くのご先祖様のいのちが、私のいのちへと確かに繋がっていることを、あらためて実感させていただきました。手を合わせたあのひとときの心を、日々の暮らしの中でも忘れずにいたいものです。自分と他人を分け隔てないその心こそが、平和への小さな幸せの一歩になるのです。
いつでもどこでも良いです。大切な方、愛しい方を思い浮かべて、心静かに手を合わせてみてください。実はその感謝のお姿こそが、一番身近な「自他一如」の実践なのです。
また、十月十日は当寺の報恩会にあわせて先代住職孝印大和尚様の十七回忌法要を執り行います。ぜひご参詣、御焼香をお願いいたします。
少しずつ秋の気配が近づいております。どうぞ皆様、季節の変わり目、お身体ご自愛くださいませ。

合掌

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